suyasuyaoyasumi.

- ̗̀ すやすやおやすみ ̖́- は、いつもお子に話しかけながら寝かしつけている言葉です。 ⁡少しずつ素敵になっていきたいです。

数十年振りの森道市場

学生時代に友人と訪れてから、実に数十年ぶりの森道市場へ。数十年前は今のラグナシアで開催されているような広々とした規模感でもなく、三ヶ根山で開催されていたから本当に森!という感じで、前の日に雨が降ったのだろうか地面も草木もつやつやに濡れていて、神聖な空気の中に混じり合うゆるい感じがとても良かったのを鮮明に覚えている。三ヶ根山で開催されていたときはまだ2回目か3回目の時で今みたいな人がわんさか寄り付くような知名度もなく、出店されているお店も気兼ねなくじっくり見れた記憶がある。

当時学生だった私がいつしか大人になり、今度は赤子を連れて訪れた。三ヶ根山から乙川になったときも訪れたかったのだが学生とアルバイトとの両立、卒業してから一度フリーになったものの働いていた職場が中々の激務で忙しく、ことごとく行く機会を逃していた。

子供を出産し、比較的時間にもゆとりがあり、子供もだいぶ月齢が進んできていたのでそろそろ少し刺激になるようなところに連れていってあげたいとは思っていたのだが、いざ旅行となると時間だけではなく母子ともに心の余裕と金銭的にも気合がないと困難だという結論に至りやはりまたの機会にしようと思っていた時にちょうど森道市場の情報が目に留まった。

森道市場は海も自然もあるし、気軽に行けてなにかあったらすぐに帰ってこれる面から子供を連れてゆくにはいい機会だと思い、思い切ってチケットをとった。初めは土曜日のペトロールズを見るために一日だけ訪れる予定だったが、迷っているうちにチケットが売り切れてしまったためそれだったら2日目も見たい出演者がいるから2日分取るか~というゆるい感じであっさり行くことを決めたのだった。

子供は森道市場もましてや電車とバスに乗るのもはじめてで、母子ともに行くまで不安で仕方がなく子供はその緊張感を汲み取るししかも初めての空間に驚いて終始泣き続けそれはそれはもう大変だったのだが、バスに乗り合わせた子連れのお母さんが子供のことをあやしてくれ、そんな過程を経てようやく会場に着いた。(しかも電車を降りてからバスの乗車券を買うために炎天下の中1時間弱並んで子供には大変な思いをさせてしまった)しかもそのお母さんは私の子供よりちょうど一回り上の男の子を抱えていて、子供と同じ月の秋産まれだと教えてくれた。淡いピンクのワンピースにNAOTのOLGAがとても素敵な、親切でしなやかな女性だった。

さようなら、楽しみましょう。と別れたあと、ぞうめし屋でアボカドの美味しそうなお弁当をサッと食べ芝生に申し訳程度のレジャーシートを敷いて座ってペトロールズの音楽を聴いた瞬間、子供が楽しそうにキャーと声をあげた。そんな姿を見て今までに感じたことのない、言葉に言い表せない感情がわいた。言葉ではうまく言えないけれど、大変だったけど来てよかった、という感じだ。その言葉が自然と子供に向かって出ていたから、きっとそういうことだろう。よほど嬉しかったのか安堵感から出た言葉だったのだろう。

当時一緒に行った友人ともまた同じイベントで久しぶりに会えて、本当に心から嬉しかったし、数十年前にこんな素敵なイベントに出会わせてくれたことに心から感謝した。友人も2日通しでチケットを取ったらしく、金曜日はひとりで、土曜日は学生時代の先輩と一緒に来たんだと会った時に教えてくれた。友人は素敵なインド柄のワンピースを身に纏い、それが彼女の柔らかなイメージにとてもよく似合っていた。4~5年前に会ったときは緑のロングワンピースを着ていてその時もおしゃれで素敵だったが、今はさらにおしゃれが様になって、しなやかさも相まって洗練されていた。

子供に会いにきてくれた今もきらきら光る笑顔は健在で、おめでとうと言いながらとても楽しそうに会ってくれたのが心から嬉しかった。過ごしている環境の変化などで色々姿かたちは変わっていっても、根本的な部分はいい意味で変わっていなかった。

2日目は一人で行く予定だったが、朝起きた段階でとても元気そうだったのと、行く間際になり短時間でも子供と離れ離れになるのは寂しい!無理!ということで2日目も頑張ってついてきてもらった。2日目はバスの往復乗車券は買ってあるしすぐ会場にいけるだろうと思っていたらその予想は外れ、今度はバスに乗るために40分ほど並んだ。バス案内のおじさんやバスの運転手さん、並んでいるときは若いカップルの方々にとても良くしてもらい、ついて少しグズグズしている子供によくがんばったね。と声をかけてくれた。森道市場に関わるすべての方たちの優しさがそこには凝縮されていた。

2日目のお目当てはハンバートハンバート坂本美雨さんだったので、先に子供のお昼を食べさせた。ご飯を食べさせていると、後ろのテーブルに座っていた男女グループの人に声をかけられて、ご飯食べてるの、その月齢からここに遊びに来て感性が磨かれるね!いいね、と言われた。そんな言葉をかけてくれる人は中々いないから正直驚いたし、全てを肯定してくれるような言葉のように感じてとても嬉しく思った。なんだ、世界は思ったよりも優しいし、捨てたもんじゃないなとその時に思った。

さすがに2日目も連れてきてしまったものだから案の定お疲れ気味でその後しばらくはグズグズタイムだったのだが、ようやく着きハンバートハンバートの音楽を聴いた瞬間、私のゆらゆら揺れるリズムに合わせて抱っこ紐の中で子供が静かに眠り始めた。よほど二人の声が心地良かったのだろう。私はハンバートハンバートの音楽を聴きながら、子供を出産してから夫婦喧嘩が増えなんとなくギクシャクしていた家族のことを想い、子供を抱っこしてカレーを食べながら気づいたら泣いていた。その時に家族は友達とはまた違って思いやりと感謝の気持ちをすぐに伝え合える存在で、これからはもっと家族のことを大切にしないといけないんだと気付いた瞬間だったのだけど、二人の温かい歌が、当たり前すぎていつの間にか忘れ去られていたことをもう一度気づかせてくれて、そこで改めて音楽の偉大さを感じた。

うまく言えないけれど、決して悲しいとか苦しいとかいう涙ではなく、そんなことを思うただただ温かい涙が自分の頬をつたったのだった。

その後の坂本美雨さんのステージもすごく素敵で、土曜日の夜に急遽出演が決まったらしいのだけど、そんなことを感じさせないくらい着いた時にはもう既に空気感が出来上がっていた。すごく心地の良い時間だった。美雨さんはかぞくのうたで声をつまらせて涙を浮かべていたが、それに寄り添う世武さんのピアノの旋律がとても優しく時には儚く美しかった。坂本龍一さんが亡くなってすぐできっとかぞくのことを考え、大切なものを失うつらさなど、色々思うところはあったのだろう。子育ての話だけではなく家族の話もたくさんしていた。子供が産まれてからは特に家族のドラマが濃いとぼそっと言っていて、その言葉には重みがあった。きっと美雨さんにとってもかぞくって、私達が計り知れない色々な想いがあるのだろうな。

私も子供を出産してこの世に生を受けて少ししか経っていないけど、ほんとうにいろんなドラマがあったと感じる。まだまだはじまったばかりでこれから先もずっと続くんだけど、本当に人生の中で今しかなくて、貴重で濃密な時間だと感じている。産む前、子供は”親が”育てるものだと思っていた。その考えが間違っているかと言われたら間違ってはいないと思うので、そう思っていた時の自分をいまさら否定するつもりもない。だが今はその考え方とは違い、”子に”親が育てられているんだと身に染みて感じているのも確かなのだ。それは美雨さんも同じで、一人のお母さんとして子育てしてそう思うんだ、と言っていたのが共感とともに信憑性を感じた。

家族とか子育てとか、特に意識してたわけではなかったんだが、この2日間はそんなことに深く触れ、自分と向き合い子と向き合い、家族のことをたくさん考える日を過ごしたのでした。

子供は大きくなったらきっと森道市場に行ったことも覚えていないだろうけれど、何か感じ取ったものがあったら嬉しいなぁと思うし、いつかそれが優しく寄り添うような華になればいいなと思う。


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(森道市場で唯一撮った親子の写真。坂本美雨さんのステージが終わった後に撮った一枚。私の頭にツノが生えちゃったけど(笑) 子供相手にしてたらゆっくり写真を撮る暇もなくて、本当にこの写真一枚だけ。 ちなみにこのワンピースは1日目に遊園地エリアで一目惚れして買ったインド柄のもので、2日目に早速着て行ったらお手洗いの前でこの服を買ったお店の人が私達を見つけて声をかけてくれて、嬉しそうにありがとうと言って去って行ったのがすごく印象的でかつ感じの良いお店の人だった。後日SNSを拝見すると少し前に写真に映るお洋服が素敵!とフォローさせて頂いていたお店のお品物だったことを知り、こんな偶然のご縁があるものなんだ!と思ったのと同時に、やはり素敵だと思ったものは自然とめぐりめぐってくるものなんだなぁと感じた、とても思入れのあるワンピースになりましたとさ。)

 

おしまい。